2026-10-09

目次

  • はじめに 人間のふりをした悪魔
  • 第一章 数学の天才
  • 第二章 ヒルベルト学派の旗手
  • 第三章 プリンストン高等研究所
  • 第四章 私生活
  • 第五章 第二次大戦と原子爆弾
  • 第六章 コンピューターの父
  • 第七章 フォン・ノイマン委員会
  • おわりに

本書『ジョン・フォン・ノイマンの哲学――人間のふりをした悪魔』は、20世紀屈指の天才科学者ジョン・フォン・ノイマンの生涯と業績をたどりながら、彼の根底にあった思想や価値観を「フォン・ノイマンの哲学」として捉え直そうとする本である。

ノイマンは53年余りの生涯で、数学・論理学・物理学・計算機科学・経済学・気象学など非常に広い分野に約150編の論文を残した。プログラム内蔵方式によるノイマン型コンピューター、量子力学の数学的基礎、ゲーム理論など、現代科学の多数の領域に先駆的な成果を残しており、その圧倒的な知性から「人間のふりをした悪魔」とも呼ばれた。

一方、本書が中心的に問うのは業績そのものではなく、ノイマンが世界をどう捉え、何を価値あるものと考え、どのような倫理観に基づいて行動したのかという点である。著者によれば、ノイマンの思想の根底には主に次のような傾向があった。

  • 科学的に可能なことは徹底して追究すべきだとする科学優先主義
  • 目的達成のためなら非人道的な兵器の使用も許容する非人道主義
  • 世界には普遍的な責任や道徳は存在しないとする一種の虚無主義

ノイマンは理論科学者にとどまらず、第二次世界大戦とその後のアメリカの軍事政策にも深く関与した。マンハッタン計画では原子爆弾開発に参加し、爆縮理論などで大きな役割を果たした。戦後には政府や軍の政策決定にも関わり、核兵器や核ミサイルの配備、ソ連に対する強硬な戦略を主張した。著者は彼を、科学的合理性を現実の政治や軍事に徹底的に適用した「実践家」と位置づけている。

ノイマンのアメリカへの強い帰属意識には、故郷ブダペストを含むヨーロッパがナチス・ドイツやソ連によって翻弄された経験が影響していたとされる。彼はアメリカを理想国家とみなし、単なる亡命科学者ではなく、国家に直接貢献しようとした。晩年には大統領の重要な助言者として、軍や研究機関の指導者たちと対等に政策を議論するほど大きな影響力を持っていた。

著者はさらに、ノイマンの合理主義的な核戦略を、その死後に起きた1962年のキューバ危機と関連づけて考察する。キューバ危機は米ソが全面核戦争寸前まで接近した事件であり、ノイマンが生きていれば、アメリカが優位だった時期にソ連を先制攻撃すべきだったという従来の主張を繰り返したのではないか、と推測している。また、その徹底した合理主義から、朝鮮戦争やベトナム戦争でも核兵器の使用を支持した可能性があると論じている。

その一方で著者は、ノイマンが理想としていたであろう未来も想像する。科学を最優先する世界政府が実現していれば、コンピューター、ロボット、宇宙開発、エネルギー利用、気象制御、遺伝子工学などがさらに急速に発達していたかもしれない。しかし、そのような科学的進歩のために人間的・倫理的な犠牲をどこまで許すのかという問題こそ、本書の重要な問いになっている。

原子爆弾の惨禍を前に多くの科学者が罪悪感や恐怖を抱いたのに対し、ノイマンは基本的にそうした人道的感情から距離を置いていたと著者は描く。ただし、原爆開発について「我々が今作っているのは怪物だ」と妻クララに漏らしたという記録もあり、完全に感情を失っていたというより、自らの目的のために人間的感情を意識的に抑え込んでいた可能性も示されている。

総じて本書は、ノイマンを単なる「コンピューターの父」や数学の天才としてではなく、科学の可能性を極限まで追究し、そのためには倫理や人道すら二次的なものとして扱った人物として描く。そして、その徹底した合理主義が現代の科学技術社会や核兵器時代に何を残したのかを問いかけている。

本書の核心は、ノイマンの偉大な業績を評価するだけでなく、「科学的にできること」と「人間としてしてよいこと」は同じなのかという問題を、彼の生涯を通して考えることにある。